日本海軍の保有していた一等駆逐艦のデータです. 一等駆逐艦は排水量が1,000t以上の駆逐艦です. なお,駆逐艦は自然現象,植物などの名前を付けることが慣例でした.
日本海軍の駆逐艦は,水雷戦隊を構成し魚雷を中心とした攻撃をおこなうことを主目的に設計されていました. 本来の駆逐艦の目的は魚雷艇の攻撃から艦隊を守ることで,Torpedo Boat Destroyer という名前にもあらわれています.
しかし,太平洋戦争では航空機と潜水艦の脅威が増したので,駆逐艦も対空能力や対潜水艦能力の向上が必要でした. 日本海軍の駆逐艦は艦隊決戦を主としており,対空・対潜能力が劣っているものが多く悲劇の一因となりました.
峯風型
太平洋戦争当時は旧式化していた.
- 基準排水量:1215 t
- 速力:39 kt
- 主要兵装:12cm砲4門,53cm魚雷発射菅6門
峯風型の同型艦
峯風 (みねかぜ)
1920年5月29日舞鶴工廠で竣工→1944年2月10日台湾沖で米潜の雷撃により沈没
澤風 (さわかぜ)
1920年3月16日三菱長崎造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事,防波堤に改造
沖風 (おきかぜ)
1920年8月17日舞鶴工廠で竣工→1943年1月10日房総沖で米潜の雷撃により沈没
島風 (しまかぜ)
1920年11月15日舞鶴工廠で竣工→1940年4月1日第1号哨戒艇と改名
灘風 (なだかぜ)
1921年9月30日舞鶴工廠で竣工→1940年4月1日第2号哨戒艇と改名
矢風 (やかぜ)
1920年7月19日三菱長崎造船所で竣工→1942年7月30日特務艦(標的艦)籍に編入
羽風 (はかぜ)
1920年9月16日三菱長崎造船所で竣工→1943年1月23日カビエン沖で米潜の雷撃により沈没
汐風 (しおかぜ)
1921年7月29日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事,防波堤に転用
秋風 (あきかぜ)
1921年4月1日三菱長崎造船所で竣工→1944年11月3日南シナ海で米潜の雷撃により沈没
夕風 (ゆうかぜ)
1921年8月24日三菱長崎造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引渡
太刀風 (たちかぜ)
1921年12月5日舞鶴工廠で竣工→1944年2月17日トラック島の空襲で沈没
帆風 (ほかぜ)
1921年12月22日舞鶴工廠で竣工→1944年7月6日西部ニューギニアで米潜の雷撃により沈没
野風 (のかぜ)
1922年3月31日舞鶴工廠で竣工→1945年2月16日南シナ海で米潜の雷撃により沈没
沼風 (ぬまかぜ)
1922年7月24日舞鶴工廠で竣工→1943年12月18日沖縄琴海で米潜の雷撃により沈没
波風 (なみかぜ)
1922年11月11日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引渡
神風型
峯風型の改良型. 太平洋戦争では旧式化していた.
- 基準排水量:1270 t
- 速力:37 kt
- 主要兵装:12cm砲4門,53cm魚雷発射菅6門
神風型の同型艦
神風(第1駆逐艦) (かみかぜ)
1922年12月28日三菱長崎造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1946年座礁し放棄
朝風(第3駆逐艦) (あさかぜ)
1923年6月16日三菱長崎造船所で竣工→1944年8月24日フィリピン沖で米潜の雷撃により沈没
春風(第5駆逐艦) (はるかぜ)
1923年5月31日舞鶴工作部で竣工→戦後,京都府竹野港の防波堤とされる
松風(第7駆逐艦) (まつかぜ)
1924年4月5日舞鶴工作部で竣工→1944年6月6日父島近海で米潜の雷撃により沈没
旗風(第9駆逐艦) (はたかぜ)
1924年8月30日舞鶴工作部で竣工→1945年1月15日高雄で空襲により沈没
追風(第11駆逐艦) (おいて)
浦賀船渠で竣工→1944年2月18日トラック島空襲により沈没
疾風(第13駆逐艦) (はやて)
1925年12月21日石川島造船所で竣工→1941年12月11日ウェーキ島攻略作戦中に同島からの砲撃により沈没,大戦中の海軍喪失艦第一号
朝凪(第15駆逐艦) (あさなぎ)
1925年12月29日藤永田造船所で竣工→1944年5月17日父島近海で米潜の雷撃で沈没
夕凪(第17駆逐艦) (ゆうなぎ)
1925年4月24日佐世保工廠で竣工→1944年8月25日フィリピン北西で米潜の雷撃で沈没
大正後半から昭和初期にかけて駆逐艦は番号で呼称された.
睦月型
峯風,神風型の改良型.
- 基準排水量:1315 t
- 速力:37 kt
- 主要兵装:12cm砲4門,61cm魚雷発射菅6門
睦月型の同型艦
睦月(第19号駆逐艦) (むつき)
1926年3月25日佐世保工廠で竣工→1942年8月25日ガダルカナル近海で空襲を受け沈没
如月(第21号駆逐艦) (きさらぎ)
1925年12月21日舞鶴工作部で竣工→1941年12月11日ウェーキ島攻略中,空襲を受け沈没
彌生(第23号駆逐艦) (やよい)
1926年8月28日浦賀船渠で竣工→1942年9月11日ニューギニア近海で空襲を受け沈没
卯月(第25号駆逐艦) (うづき)
1926年9月14日石川島造船所で竣工→1944年12月12日オルモック湾で米魚雷艇の雷撃により沈没
皐月(第27号駆逐艦) (さつき)
1925年11月15日藤永田造船所で竣工→1944年9月21日マニラ湾で空襲を受け沈没
水無月(第28号駆逐艦) (みなづき)
1927年3月22日浦賀船渠で竣工→1944年6月6日ダバオ近海で米潜の雷撃により沈没
文月(第29号駆逐艦) (ふみづき)
1926年7月3日藤永田造船所で竣工→1944年2月18日トラック島空襲で沈没
長月(第30号駆逐艦) (ながつき)
1927年4月30日石川島造船所で竣工→1943年7月6日クラ湾夜戦で座礁,空襲を受け大破,船体放棄
菊月(第31号駆逐艦) (きくづき)
1926年11月20日舞鶴工作部で竣工→1942年5月5日ツラギ攻略中空襲を受け沈没
三日月(第32号駆逐艦) (みかづき)
1927年5月7日佐世保工廠で竣工→1943年7月28日ツルブで空襲を受け沈没
望月(第33号駆逐艦) (もちづき)
1927年10月31日浦賀船渠で竣工→1943年10月24日ニューブリテン島近海で空襲を受け沈没
夕月(第34号駆逐艦) (ゆうづき)
1927年7月25日藤永田造船所で竣工→1944年12月13日オルモック湾で空襲を受け沈没
大正後半から昭和初期にかけて駆逐艦は番号で呼称された.
特型 (吹雪型)
世界中を驚かせた画期的な重武装艦隊型駆逐艦. 以後の日本の駆逐艦の方向性を決定付けた. 細かく分けるとI型,II型,III型と3タイプに分かれる.
- 基準排水量:1680 t
- 速力:37 kt
- 主要兵装:12.7cm砲6門,61cm魚雷発射菅9門
特型の同型艦
I型
吹雪(第35号駆逐艦) (ふぶき)
1928年8月10日舞鶴工作部で竣工→1942年10月11日サボ島沖海戦で沈没
白雪(第36号駆逐艦) (しらゆき)
1928年12月18日横浜船渠で竣工→1943年3月3日ソロモン海域で空襲を受け沈没
初雪 (はつゆき)
1929年3月30日舞鶴工作部で竣工→1943年7月17日ブインで物資揚陸中,空襲を受け沈没
深雪(第38号駆逐艦) (みゆき)
1929年6月29日浦賀船渠で竣工→1934年6月29日済州島南方で演習中に駆逐艦電と衝突沈没
叢雲 (むらくも)
1929年5月10日藤永田造船所で竣工→1942年10月11日ガダルカナル島への輸送作戦中に空襲を受け沈没
東雲(第40号駆逐艦) (しののめ)
1928年7月25日佐世保工廠で竣工→1941年12月17日ボルネオ沖でオランダ軍の機雷により沈没
薄雲(第41号駆逐艦) (うすぐも)
1928年7月26日石川島造船所で竣工→1944年7月7日択捉島北方で米潜の雷撃を受け沈没
白雲(第42号駆逐艦) (しらくも)
1928年7月28日藤永田造船所で竣工→1944年3月16日千島列島沖で米潜の雷撃を受け沈没
磯波(第43号駆逐艦) (いそなみ)
1928年6月30日浦賀船渠で竣工→1943年4月9日バンダ海で米潜の雷撃を受け沈没
浦波 (うらなみ)
1929年6月30日佐世保工廠で竣工→1944年10月26日マニラ湾で空襲を受け沈没
大正後半から昭和初期にかけて駆逐艦は番号で呼称された.
II型
綾波 (あやなみ)
1930年4月30日藤永田造船所で竣工→1942年11月15日第3次ソロモン海戦で被弾し翌日沈没
敷波 (しきなみ)
1929年12月24日舞鶴工廠で竣工→1944年9月12日海南島近海で米潜の雷撃を受け沈没
朝霧 (あさぎり)
1930年6月30日佐世保工廠で竣工→1942年8月28日ガダルカナル島への輸送作戦中,ラモス近海で空襲を受け沈没
夕霧 (ゆうぎり)
1930年12月3日舞鶴工廠で竣工→1943年11月25日セントジョージ岬沖で米駆逐艦と砲戦,被弾沈没
天霧 (あまぎり)
1930年11月10日石川島重工で竣工→1944年4月23日マカッサル海峡で触雷沈没
狭霧 (さぎり)
1931年1月31日浦賀船渠で竣工→1941年12月24日ボルネオ沖で蘭潜の雷撃を受け沈没
朧 (おぼろ)
1931年10月31日佐世保工廠で竣工→1942年10月17日キスカ島近海で空襲を受け沈没
曙 (あけぼの)
1931年7月31日藤永田造船所で竣工→1944年11月13日マニラ港内で空襲を受け沈没
漣 (さざなみ)
1932年5月19日舞鶴工廠で竣工→1944年1月14日ヤップ島近海で米潜の雷撃を受け沈没
潮 (うしお)
1931年11月14日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1948年8月解体処分
III型
暁 (あかつき)
1932年11月30日佐世保工廠で竣工→1942年11月12日第3次ソロモン海戦で沈没
響 (ひびき)
1933年3月31日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
雷 (いかづち)
1932年8月15日浦賀船渠で竣工→1944年4月14日メレヨン島近海で米潜の雷撃を受け沈没
電 (いなづま)
1932年11月15日藤永田造船所で竣工→1944年5月14日セレベス海で米潜の雷撃を受け沈没
初春型
軍縮条約の制限である1400トンの船体に特型と同様の武装を積もうとした. 重心位置が高く無理があったので改装された.
- 基準排水量:1400 t
- 速力:33 kt
- 主要兵装:12.7cm砲5門,次発装填式61cm魚雷発射菅6門
初春型の同型艦
初春 (はつはる)
1933年9月30日佐世保工廠で竣工→1944年11月13日マニラ湾で空襲により沈没
子日 (ねのひ)
1933年9月30日浦賀船渠で竣工→1942年7月5日アガッツ島沖で米潜の雷撃により沈没
若葉 (わかば)
1934年10月31日佐世保工廠で竣工→1944年10月24日スル海で空襲により沈没
初霜 (はつしも)
1934年9月27日浦賀船渠で竣工→1945年7月30日官津湾で触雷沈没
有明 (ありあけ)
1935年3月25日川崎神戸造船所で竣工→1943年7月28日ツルブ島沖で空襲により沈没
夕暮 (ゆうぐれ)
1935年3月30日舞鶴工廠で竣工→1943年7月16日ラバウル近海で空襲により沈没
白露型
初春型の改良型. 魚雷兵装が強化された.
- 基準排水量:1685 t
- 速力:34 kt
- 主要兵装:12.7cm砲5門,次発装填式61cm魚雷発射菅8門
白露型の同型艦
白露 (しらつゆ)
1936年9月7日佐世保工廠で竣工→1944年6月15日護衛中の船と接触沈没
時雨 (しぐれ)
1936年9月7日浦賀船渠で竣工→1945年1月24日マレー半島東岸で米潜の雷撃により沈没
村雨 (むらさめ)
1937年1月7日藤永田造船所で竣工→1943年3月5日クラ湾で空襲により沈没
夕立 (ゆうだち)
1937年1月7日佐世保工廠で竣工→1942年11月第3次ソロモン海戦で沈没
春雨 (はるさめ)
1937年8月26日舞鶴工廠で竣工→1944年6月8日渾作戦中にマノクワリ近海で空襲を受け沈没
五月雨 (さみだれ)
1937年1月29日浦賀船渠で竣工→1944年8月18日パラオ北端で座礁中,米潜の雷撃により沈没
海風 (うみかぜ)
1937年5月31日舞鶴工廠で竣工→1944年2月1日トラック島北水道で米潜の雷撃により沈没
山風 (やまかぜ)
1937年6月30日浦賀船渠で竣工→1942年6月23日房総半島沖で米潜の雷撃により沈没
江風 (かわかぜ)
1937年4月30日藤永田造船所で竣工→1943年8月6日ベラ湾海戦で沈没
涼風 (すずかぜ)
1937年8月31日浦賀船渠で竣工→1944年1月25日ブラウン島への船団護衛中,米潜の雷撃により沈没
朝潮型
条約切れを考慮して建造された大型の駆逐艦.
- 基準排水量:2000 t
- 速力:35 kt
- 主要兵装:12.7cm砲6門,次発装填式61cm魚雷発射菅8門
朝潮型の同型艦
朝潮 (あさしお)
1937年8月31日佐世保工廠で竣工→1943年3月3日ビスマルク海海戦で沈没
大潮 (おおしお)
1937年10月31日舞鶴工廠で竣工→1943年2月20日マヌス島沖で米潜の雷撃により沈没
満潮 (みちしお)
1937年10月31日藤永田造船所で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡沖海戦で沈没
荒潮 (あらしお)
1937年12月20日川崎神戸造船所で竣工→1943年3月3日ビスマルク海海戦で沈没
朝雲 (あさぐも)
1938年3月31日川崎神戸造船所で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡沖海戦で沈没
山雲 (やまぐも)
1938年1月15日藤永田造船所で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡沖海戦で沈没
夏雲 (なつぐも)
1938年2月10日佐世保工廠で竣工→1942年10月12日サボ島沖で空襲により沈没
峯雲 (みねぐも)
1938年4月30日藤永田造船所で竣工→1943年3月5日クラ湾夜戦で沈没
霰 (あられ)
1939年4月15日舞鶴工廠で竣工→1942年7月5日キスカ島沖で米潜の雷撃により沈没
霞 (かすみ)
1939年6月28日浦賀船渠で竣工→1945年4月7日坊の岬沖海戦で沈没
陽炎型 (甲型)
条約の制限を受けずに建造された大型艦隊駆逐艦. ここに至って日本海軍は望んでいた理想的な駆逐艦を得た. 対空・対潜能力は不足していた.
- 基準排水量:2000 t
- 速力:35 kt
- 主要兵装:12.7cm砲6門,次発装填式61cm魚雷発射菅8門
陽炎型の同型艦
陽炎 (かげろう)
1939年11月6日舞鶴工廠で竣工→1943年5月8日クラ湾で触雷後空襲により沈没
不知火 (しらぬい)
1939年12月20日浦賀船渠で竣工→1944年10月27日シブヤン海で空襲で沈没
黒潮 (くろしお)
1940年1月27日藤永田造船所で竣工→1943年5月8日コロンバンガラ島で触雷沈没
親潮 (おやしお)
1940年8月20日舞鶴工廠で竣工→1943年5月8日コロンバンガラ島で触雷後空襲により沈没
早潮 (はやしお)
1940年8月21日浦賀船渠で竣工→1942年11月24日ラエ沖で空襲により沈没
夏潮 (なつしお)
1940年8月21日藤永田造船所で竣工→1942年2月9日マカッサル沖で米潜の雷撃を受け曳航中セレベス近海で沈没
初風 (はつかぜ)
1940年2月15日川崎神戸造船所で竣工→1943年11月2日ブーゲンビル島沖で妙高と衝突後米艦隊の砲撃で沈没
雪風 (ゆきかぜ)
1940年1月20日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引渡,大戦中随一の武運艦で一度も被害を受けたことがなかったという
天津風 (あまつかぜ)
1940年10月26日舞鶴工廠で竣工→1945年4月6日広門沖で空襲により沈没
時津風 (ときつかぜ)
1940年12月15日浦賀船渠で竣工→1943年3月3日ラエ沖で空襲により沈没
浦風 (うらかぜ)
1940年12月15日藤永田造船所で竣工→1944年11月21日台湾海峡で米潜の雷撃により沈没
磯風 (いそかぜ)
1940年11月30日佐世保工廠で竣工→1945年4月7日坊の岬沖海戦で沈没
浜風 (はまかぜ)
1941年6月30日浦賀船渠で竣工→1945年4月7日坊の岬沖海戦で沈没
谷風 (たにかぜ)
1941年4月25日藤永田造船所で竣工→1944年6月9日タウィタウィ沖で米潜の雷撃により沈没
野分 (のわき)
1941年4月28日舞鶴工廠で竣工→1944年10月26日レイテ沖海戦で沈没
嵐 (あらし)
1941年1月27日舞鶴工廠で竣工→1943年8月6日ベラ湾海戦で沈没
萩風 (はぎかぜ)
1941年3月31日浦賀船渠で竣工→1943年8月6日ベラ湾海戦で沈没
舞風 (まいかぜ)
1941年7月15日藤永田造船所で竣工→1944年2月17日トラック島空襲で沈没
秋雲 (あきぐも)
1941年9月27日浦賀船渠で竣工→1944年4月11日セレベス海で米潜の雷撃により沈没,従来夕雲型とされていたが陽炎型と判明
夕雲型 (甲型)
陽炎型の改良型. 陽炎型よりも対空能力を向上させていた.
- 基準排水量:2000 t
- 速力:35 kt
- 主要兵装:12.7cm砲6門,次発装填式61cm魚雷発射菅8門
夕雲型の同型艦
夕雲 (ゆうぐも)
1941年12月5日舞鶴工廠で竣工→1943年10月6日ベララベラ沖で米駆逐艦と交戦沈没
巻雲 (まきぐも)
1942年3月14日藤永田造船所で竣工→1943年2月1日サボ島付近で触雷沈没
風雲 (かぜぐも)
1942年3月28日浦賀船渠で竣工→1944年6月8日ダバオで米潜の雷撃を受け沈没
長波 (ながなみ)
1942年6月30日藤永田造船所で竣工→1944年11月11日オルモック湾で空襲を受け沈没
巻波 (まきなみ)
1942年8月18日舞鶴工廠で竣工→1943年11月25日セントジョージ岬沖海戦で沈没
高波 (たかなみ)
1942年8月31日浦賀船渠で竣工→1942年11月30日ルンガ沖夜戦で沈没
大波 (おおなみ)
1942年12月29日藤永田造船所で竣工→1943年11月25日セントジョージ岬沖海戦で沈没
清波 (きよなみ)
1943年1月25日浦賀船渠で竣工→1943年7月20日ベララベラ沖で空襲を受け沈没
玉波 (たまなみ)
1943年4月30日藤永田造船所で竣工→1944年7月7日マニラ湾付近で米潜の雷撃を受け沈没
涼波 (すずなみ)
1943年7月27日浦賀船渠で竣工→1943年11月11日ラバウル港外で空襲を受け沈没
藤波 (ふじなみ)
1943年7月31日藤永田造船所で竣工→1944年10月27日レイテ沖海戦で空襲により沈没
早波 (はやなみ)
1943年7月31日舞鶴工廠で竣工→1944年6月7日タウィタウィで米潜の雷撃を受け沈没
浜波 (はまなみ)
1943年10月15日舞鶴工廠で竣工→1944年11月11日オルモック湾で空襲を受け沈没
沖波 (おきなみ)
1943年12月10日舞鶴工廠で竣工→1944年11月13日マニラ湾で空襲を受け沈没
岸波 (きしなみ)
1943年12月3日浦賀船渠で竣工→1944年12月4日パラワン島近海で米潜の雷撃を受け沈没
朝霜 (あさしも)
1943年11月27日藤永田造船所で竣工→1945年4月7日坊の岬沖海戦で沈没
早霜 (はやしも)
1944年2月20日舞鶴工廠で竣工→1944年10月26日レイテ沖海戦で空襲を受けミンドロ島近海で沈没
秋霜 (あきしも)
1944年3月1日藤永田造船所で竣工→1944年11月3日マニラ港で空襲を受け沈没
清霜 (きよしも)
1944年5月15日浦賀船渠で竣工→1944年12月26日サンホセ突入作戦で空襲を受け沈没
秋月型 (乙型)
艦隊を航空機から守るために建造された大型防空駆逐艦. 極めて優秀な駆逐艦であったがレーダーの発達の遅れが欠点であった.
- 基準排水量:2700 t
- 速力:33.5 kt
- 主要兵装:10cm高角砲8門,次発装填式61cm魚雷発射菅4門
秋月型の同型艦
秋月 (あきづき)
1942年6月11日舞鶴工廠で竣工→1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没
照月 (てるづき)
1942年7月31日三菱長崎造船所で竣工→1942年12月12日魚雷艇の攻撃により行動不能,自沈
涼月 (すずつき)
1942年12月29日三菱長崎造船所で竣工→1945年4月6日坊の岬沖海戦で中破状態となり戦後若松港の防波堤とされる
初月 (はつづき)
1942年12月15日舞鶴工廠で竣工→1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没
新月 (にいづき)
1943年3月31日三菱長崎造船所で竣工→1943年7月5日クラ湾夜戦で沈没
若月 (わかつき)
1943年5月31日三菱長崎造船所で竣工→1944年11月9日オルモック湾空襲で沈没
霜月 (しもつき)
1944年3月31日三菱長崎造船所で竣工→1944年11月25日ジャワ海で米潜の雷撃により沈没
冬月 (ふゆづき)
1944年5月25日舞鶴工廠で竣工→1945年8月20日触雷し大破,若松港の防波堤とされる
春月 (はるづき)
1944年12月28日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
宵月 (よいづき)
1945年1月31日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引き渡し
夏月 (なつづき)
1945年4月8日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引き渡し
[満月 (みちつき)]
1945年1月3日佐世保工廠で起工,1945年4月工事中止,解体
花月 (はなづき)
1944年12月26日舞鶴工廠で竣工→戦後,調査のため米国へ
[清月 (きよつき)]
1944年12月14日建造中止
[大月 (おおつき)]
1944年12月14日建造中止
[葉月 (はづき)]
1944年12月14日建造中止
その他,改マル五計画で23隻を予定していたが建造中止.
島風型 (丙型)
実験的に建造された大型艦隊駆逐艦. 魚雷兵装の充実と速力が目を見張るが,対空・対潜能力は不足していた.
- 基準排水量:2567 t
- 速力:40 kt
- 主要兵装:12.7cm砲6門,61cm魚雷発射菅15門
島風型の同型艦
島風 (しまかぜ)
1943年5月10日舞鶴工廠で竣工→1944年11月8日オルモック湾で米軍機の攻撃により沈没
松型・改松型 (丁型)
戦時急造の駆逐艦. 対空・対潜能力を向上させており日本の駆逐艦としては異色. 機関が缶室・機室を交互に配置する「シフト配置」となっており防御性能も高かった. 結果的に,太平洋戦争においてこのタイプの駆逐艦が最も必要であった.
- 基準排水量:1260 t
- 速力:27.8 kt
- 主要兵装:12.7cm高角砲3門,61cm魚雷発射菅4門
松型・改松型の同型艦
松型
松 (まつ)
1944年4月28日舞鶴工廠で竣工→1944年8月4日父島付近で空襲により沈没
竹 (たけ)
1944年6月16日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引き渡し
梅 (うめ)
1944年6月28日藤永田造船所で竣工→1945年1月31日台湾南方で空襲により沈没
桃 (もも)
1944年6月10日舞鶴工廠で竣工→1944年12月15日マニラ近海で米潜の雷撃により沈没
桑 (くわ)
1944年7月25日藤永田造船所で竣工→1944年12月2日オルモック湾で米艦隊と交戦し沈没
桐 (きり)
1944年8月14日横須賀工廠で竣工,終戦時残存→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
杉 (すぎ)
1944年8月25日藤永田造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引き渡し
槙 (まき)
1944年8月10日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引き渡し
樅 (もみ)
1944年9月3日横須賀工廠で竣工→1945年1月5日マニラ近海で空襲を受け沈没
樫 (かし)
1944年9月30日藤永田造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として米国に引き渡し
榧 (かや)
1944年9月30日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
楢 (なら)
1944年11月26日藤永田造船所で竣工→1945年6月30日下関で触雷大破,戦後解体
桜 (さくら)
1944年11月25日横須賀工廠で竣工→1945年7月11日大阪港で触雷沈没
柳 (やなぎ)
1945年1月18日藤永田造船所で竣工→1945年7月14日大湊で空襲を受け大破,戦後解体
椿 (つばき)
1944年11月30日舞鶴工廠で竣工→1945年7月14日呉で空襲を受け中破,戦後解体
檜 (ひのき)
1944年9月30日横須賀工廠で竣工→1945年1月5日マニラ近海で空襲を受け沈没
楓 (かえで)
1944年10月30日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引き渡し
欅 (けやき)
1944年12月15日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として米国に引き渡し
改松型
[八重桜 (やえざくら)]
1945年3月17日横須賀工廠で進水,1945年6月23日建造中止,1945年7月18日空襲により港内で沈没
[矢竹 (やだけ)]
1945年4月17日建造中止,戦後解体
[葛 (くず)]
1945年3月20日横須賀工廠で起工,1945年4月17日建造中止,解体
柿 (かき)
1945年3月5日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として米国に引き渡し
樺 (かば)
1945年5月29日藤永田造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として米国に引き渡し
[桂 (かつら)]
1945年6月23日藤永田造船所で進水,同日建造中止,戦後解体
[若桜 (わかざくら)]
1945年1月15日藤永田造船所で起工,1945年4月建造中止,戦後解体
橘 (たちばな)
1945年1月20日横須賀工廠で竣工→1945年7月14日函館港で空襲を受け沈没
蔦 (つた)
1945年2月8日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引き渡し
萩 (はぎ)
1945年3月1日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引き渡し
菫 (すみれ)
1945年3月26日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引き渡し
楠 (くすのき)
1945年4月28日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として英国に引き渡し
初桜 (はつざくら)
1945年5月28日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
楡 (にれ)
1945年1月31日舞鶴工廠で竣工→1945年6月22日呉にて空襲を受け損傷,戦後解体
梨 (なし)
1945年3月15日川崎神戸造船所で竣工→1945年7月28日呉にて空襲で沈没→1956年5月31日船体引上げ復旧後自衛艦「わかば」となる→1971年3月31日退役解体
椎 (しい)
1945年3月13日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
榎 (えのき)
1945年3月31日舞鶴工廠で竣工→1945年6月20日小浜で触雷,戦後解体
[梓 (あずさ)]
1944年12月29日横須賀工廠で起工,1945年3月建造中止,解体
雄竹 (おだけ)
1945年5月15日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として米国に引き渡し
初梅 (はつうめ)
1945年6月18日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦としてソ連に引き渡し
[栃 (とち)]
1945年5月28日舞鶴工廠で進水,終戦時未成,戦後解体
[菱 (ひし)]
1945年2月10日舞鶴工廠で起工,1945年3月建造中止,解体
[榊 (さかき)]
1944年12月29日横須賀工廠で起工,1945年3月建造中止,解体
その他,33隻が建造を取りやめ.
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