波号潜水艦

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潜水艦は,排水量500t未満を波号(ハ号)潜水艦と名前をつけることになっていました.

日本海軍が小型の潜水艦に求めたのも敵艦隊の撃破能力でした. 小型の潜水艦は外洋での行動能力に制限を受けるので,敵の泊地に対する攻撃を実施しましたがほとんど成功していません. そこで敵艦隊が来航したときの防御兵器としての運用が考えられました. 大正時代には小型の潜水艦が多数建造されましたが,太平洋戦争中には上記のような理由から多数建造する前に終戦になってしまいました.

潜高小型

局地防衛用の潜水艦蛟龍には外洋航海能力がないので,適度な航海能力を持たせた戦時急造の水中高速潜水艦. 水中運動能力に優れていた. 79隻が計画されたが起工したのは39隻. 完成したのは波201-205,207-210,216の10隻であった.

  • 排水量:320 t(水上),440 t(水中)
  • 速力:11 kt(水上),14 kt(水中)
  • 主要兵装:53cm魚雷発射菅2門
  • 同型艦:10隻

潜高小型の同型艦

波号第二〇一潜水艦

1945年5月31日佐世保工廠で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第二〇二潜水艦

1945年5月31日佐世保工廠で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第二〇三潜水艦

1945年6月26日佐世保工廠で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第二〇四潜水艦

1945年6月25日佐世保工廠で竣工→1945年10月油津湾で座礁,後に解体

波号第二〇五潜水艦

1945年7月3日佐世保工廠で竣工→1946年5月伊予灘で米軍により海没処分

波号第二〇七潜水艦

1945年8月14日佐世保工廠で竣工→1946年4月日向後岬西方で米軍により海没処分

波号第二〇八潜水艦

1945年8月4日佐世保工廠で竣工→1946年4月日向後岬西方で米軍により海没処分

波号第二〇九潜水艦

1945年8月4日佐世保工廠で竣工→1945年11月下関で米軍により爆破処分

波号第二一〇潜水艦

1945年8月11日佐世保工廠で竣工→1946年4月日向後岬西方で米軍により海没処分

波号第二一六潜水艦

1945年8月16日佐世保工廠で竣工→1946年4月日向後岬西方で米軍により海没処分

潜輸小型

陸軍の輸送小型潜水艦に影響を受けて建造された. 量産に向いた設計とされたが完成したのは波101-109,111の10隻であった.

  • 排水量:370 t(水上),493 t(水中)
  • 速力:10 kt(水上),5 kt(水中)
  • 同型艦:10隻

潜輸小型の同型艦

波号第一〇一潜水艦

1944年11月22日川崎神戸造船所で竣工→1945年10月清水沖で米軍により海没処分

波号第一〇二潜水艦

1944年12月6日川崎神戸造船所で竣工→1945年10月清水沖で米軍により海没処分

波号第一〇三潜水艦

1945年2月3日川崎神戸造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第一〇四潜水艦

1944年12月1日三菱神戸造船所で竣工→1945年10月清水沖で米軍により海没処分

波号第一〇五潜水艦

1945年2月19日川崎神戸造船所で竣工→1945年10月清水沖で米軍により海没処分

波号第一〇六潜水艦

1944年12月15日三菱神戸造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第一〇七潜水艦

1945年2月7日三菱神戸造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第一〇八潜水艦

1945年5月6日川崎神戸造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第一〇九潜水艦

1945年3月10日三菱神戸造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

波号第一一一潜水艦

1945年7月13日三菱神戸造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分

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