日本海軍の保有していた二等駆逐艦のデータです. 二等駆逐艦は排水量が1,000t未満の駆逐艦です. なお,二等駆逐艦は植物の名前を付けることが慣例でした.
日本海軍の二等駆逐艦は,大正時代に建造されたため旧式化しており船団護衛などに従事しました.
樅型
大正期に建造された二等駆逐艦. 太平洋戦争前に旧式化し除籍・転籍したものが多い.
- 基準排水量:770 t
- 速力:36 kt
- 主要兵装:12cm砲3門,53cm魚雷発射菅4門
樅型の同型艦
樅 (もみ)
1919年12月27日横須賀工廠で竣工→1932年4月1日除籍
榧 (かや)
1920年3月21日横須賀工廠で竣工→1940年2月1日除籍
楡 (にれ)
1920年3月21日呉工廠で竣工→1940年10月25日除籍(雑役船に転籍)→1944年12月15日第1泊浦と改名,戦後解体
栗 (くり)
1920年4月30日呉工廠で竣工→1945年10月8日釜山港で触雷沈没
梨 (なし)
1919年12月10日川崎神戸造船所で竣工→1940年2月1日除籍
竹 (たけ)
1919年12月25日川崎神戸造船所で竣工→1940年2月1日除籍→1944年2月10日雑役船(練習船)に転籍,戦後解体
柿 (かき)
1920年8月2日浦賀船渠で竣工→1940年11月15日雑役船(練習船)に転籍→1945年2月23日大須と改名,戦後解体
栂 (つが)
1920年7月20日石川島造船所で竣工→1945年1月15日高雄で空襲により沈没
菊 (きく)
1920年12月10日川崎神戸造船所で竣工→1940年4月1日第31号哨戒艇に転籍
葵 (あおい)
1920年12月20日川崎神戸造船所で竣工→1940年4月1日第32号哨戒艇に転籍
萩 (はぎ)
1921年4月20日浦賀船渠で竣工→1940年4月1日第33号哨戒艇に転籍
薄 (すすき)
1921年5月25日石川島造船所で竣工→1940年4月1日第34号哨戒艇に転籍
藤 (ふじ)
1921年5月31日藤永田造船所で竣工→1940年4月1日第36号哨戒艇に転籍
蔦 (つた)
1921年6月30日川崎神戸造船所で竣工→1940年4月1日第35号哨戒艇に転籍
葦 (あし)
1921年10月29日川崎神戸造船所で竣工→1940年10月15日雑役船(練習船)に転籍→1944年12月15日第2泊浦と改名,戦後解体
菱 (ひし)
1922年3月23日浦賀船渠で竣工→1940年4月1日第37号哨戒艇に転籍
蓮 (はす)
1922年7月31日浦賀船渠で竣工→戦後解体
菫 (すみれ)
1923年3月31日石川島造船所で竣工→1940年11月25日雑役船(練習船)に転籍→1945年2月23日三高と改名,戦後解体
蓬 (よもぎ)
1922年8月19日石川島造船所で竣工→1940年4月1日第38号哨戒艇に転籍
蕨 (わらび)
1921年12月19日藤永田造船所で竣工→1927年8月24日美保ヶ関沖合いで軽巡神通と衝突,沈没(美保ヶ関事件)
蓼 (たで)
1922年7月31日藤永田造船所で竣工→1940年4月1日第39号哨戒艇に転籍
若竹型
樅型の同型艦と考えてよい. 太平洋戦争でも現役で活躍した.
- 基準排水量:820 t
- 速力:35 kt
- 主要兵装:12cm砲3門,53cm魚雷発射菅4門
若竹型の同型艦
若竹(第2駆逐艦) (わかたけ)
1922年9月30日川崎神戸造船所で竣工→1944年3月30日パラオで空襲を受け沈没
呉竹(第4駆逐艦) (くれたけ)
1922年12月21日川崎神戸造船所で竣工→1944年12月30日バシー海峡で米潜の雷撃を受け沈没
早苗(第6駆逐艦) (さなえ)
1923年11月5日浦賀船渠で竣工→1943年11月15日セレベス海で米潜の雷撃を受け沈没
早蕨(第8駆逐艦) (さわらび)
1924年7月24日浦賀船渠で竣工→1932年12月5日膨湖諸島沖で荒天のため転覆沈没
朝顔(第10駆逐艦) (あさがお)
1923年5月10日石川島重工で竣工,終戦時残存→1945年8月22日下関海峡で触雷大破着底
夕顔(第12駆逐艦) (ゆうがお)
1924年5月31日石川島重工で竣工→1940年4月1日第46号哨戒艇に転籍
芙蓉(第16駆逐艦) (ふよう)
1923年3月16日藤永田造船所で竣工→1943年12月20日マニラ湾で米潜の雷撃を受け沈没
刈萱(第18駆逐艦) (かるかや)
1923年8月20日藤永田造船所で竣工→1944年5月10日バターン半島沖で米潜の雷撃を受け沈没
大正後半から昭和初期にかけて駆逐艦は番号で呼称された.
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