日本海軍の保有していた戦艦のデータです.なお,戦艦は昔の日本の国の名前を付けることが慣例でした.
当時,戦艦を保有することは,その国の国力の象徴であり,核兵器並みの影響力を持っていました. 戦艦の主砲の射程は40km,命中率は10%程度,1発当たりの弾丸重量は2トン程度,飛行機による爆撃が命中率50%程度,1発あたりの重量が200-800kg程度,飛行距離が片道300km以上あったことを考えると,飛行機による爆撃のほうが有効であることは分かったはずです. ところが,戦艦に対する信仰は揺るぎないもので,どの国も戦艦の存在意義を信じて疑いませんでした.
日本の戦艦は,アメリカの戦艦に数で劣っていたため(開戦時には日本10隻,アメリカ18隻)に,敵の射程外(およそ40km)から攻撃するアウトレンジ戦法を目的としていました. これが大口径砲をもつ大和型の開発ということにつながりました.
また,日本の戦艦は速力の遅さにより太平洋戦争で活躍の機会が得られませんでした. これはアメリカが低速の戦艦を上陸支援などに活用した点と対照的です.
金剛型
一番古いにもかかわらず速力を活かし太平洋戦争で最も活躍した戦艦. 本来,この速力は夜間に水雷戦隊の突撃を援護する目的があったためである. 当初,巡洋戦艦として建造されたため,山の名前が付けられている.
金剛型の要目
- 基準排水量:31720 t
- 速力:30 kt
- 主要兵装:35.6cm砲8門,15cm砲14門,12.7cm高角砲8門
金剛型の同型艦
金剛 (こんごう)
1913年8月16日英ビッカース社で竣工→1944年11月21日台湾海峡で米潜の雷撃により沈没
比叡 (ひえい)
1914年8月4日横須賀工廠で竣工→1942年11月13日第3次ソロモン海戦で沈没
榛名 (はるな)
1915年4月14日神戸川崎造船所で竣工→1945年7月28日呉で空襲により沈没
霧島 (きりしま)
1915年4月19日三菱長崎造船所で竣工→1942年11月15日第3次ソロモン海戦で沈没
扶桑型
完成当時は世界一の巨艦であった. 太平洋戦争では旧式化し,特に速力の不足から活躍できず.
扶桑型の要目
- 基準排水量:34700 t
- 速力:24.7 kt
- 主要兵装:35.6cm砲12門,15cm砲14門,12.7cm高角砲8門
扶桑型の同型艦
扶桑 (ふそう)
1915年11月4日呉工廠で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡海戦で沈没
山城 (やましろ)
1917年3月31日横須賀工廠で竣工→1944年10月25日スリガオ海峡海戦で沈没
伊勢型
扶桑型の改良型. 当初は,扶桑型として建造の予定であったが,扶桑型に問題があったため改良を加えられた. 空母の不足を補うため,世界でも類をみない航空戦艦に改装されたが期待外れに終わる. 大和型ができるまでは,長門型に次ぐ日本の戦艦 No.2 の実力を持っていた.
伊勢型の要目
- 基準排水量:35800 t
- 速力:25.4 kt
- 主要兵装:35.6cm砲12門,14cm砲18門,12.7cm高角砲8門
航空戦艦に改装後の要目
- 基準排水量:35350 t
- 速力:25.4 kt
- 主要兵装:35.6cm砲8門,12.7cm高角砲16門
- 搭載機数:22機
伊勢型の同型艦
伊勢 (いせ)
1917年12月15日神戸川崎造船所で竣工→1943年8月航空戦艦に改装完了→1945年7月28日呉で空襲により沈没
日向 (ひゅうが)
1918年4月30日三菱長崎造船所で竣工→1943年10月航空戦艦に改装完了→1945年7月28日呉で空襲により沈没
長門型
八八艦隊計画に基づいて建造され,世界で初めて 40cm 砲(正確には,40.6cm = 16 inch を切り上げて 41cm 砲にしてあった)を搭載した戦艦. 日本国民に最も親しまれた戦艦である.
長門型の要目
- 基準排水量:39130 t
- 速力:25 kt
- 主要兵装:41cm砲8門,14cm砲18門,12.7cm高角砲8門
長門型の要目
長門 (ながと)
1920年11月25日呉工廠で竣工,終戦時横須賀で中破残存→1946年7月30日ビキニ環礁で原爆実験により沈没
陸奥 (むつ)
1921年10月24日横須賀工廠で竣工→1943年6月8日柱島泊地で爆発沈没
八八艦隊計画の戦艦
日本はアメリカに対抗するために大正時代に八八艦隊計画を実現させようとしていました.これは建造されてから8年以内の戦艦8隻,巡洋戦艦8隻で構成された世界最強の艦隊でした.しかし,膨大な費用とワシントン軍縮条約の結果,計画は中止されました.
加賀型
長門型の拡大型. 40cm 砲を10門搭載.
加賀型の同型艦
[加賀 (かが)]
天城に代わり空母に改装
[土佐 (とさ)]
建造中止,標的実験艦として処分
天城型
巡洋戦艦,速力30kt,40cm砲を10門搭載
天城型の同型艦
[天城 (あまぎ)]
空母に改装予定であったが,関東大震災のため被害を被り廃棄
[赤城 (あかぎ)]
空母に改装
[高雄 (たかお)]
建造中止
[愛宕 (あたご)]
建造中止
紀伊型
高速戦艦として計画. 40cm 砲10門を予定.
紀伊型の同型艦
[紀伊 (きい)]
計画のみ
[尾張 (おわり)]
計画のみ
[駿河 (するが)]
計画のみ
[近江 (おうみ)]
計画のみ
第13号艦-第16号艦
後の大和に匹敵する. 速力30kt,46cm砲8門を予定.
大和型
日本人のほとんどがその存在を知ることなく沈んだ世界最大の戦艦. 世界最大の46cm砲を搭載していたが,書類上は40cm砲とされていた. このような戦艦は建造と完成してからの維持に膨大な人員と費用を必要とした. 「大和」には優秀な人材が派遣され,重要な商船護衛などには人がいない,という事態を招いたことは,巨大戦艦建造の知られざる悪弊であった. 副砲の 15.5cm 砲は,最上型を重巡に改装した際の余剰品である.
大和型の要目
- 基準排水量:64000 t
- 速力:27 kt
- 主要兵装:46cm砲9門,15.5cm砲12門→6門,12.7cm高角砲12門→24門
大和型の同型艦
大和 (やまと)
1941年12月16日呉工廠で竣工→1945年4月7日坊の岬沖海戦で沈没
武蔵 (むさし)
1942年8月5日長崎造船所で竣工→1944年10月24日シブヤン海海戦で沈没
[信濃 (しなの)]
戦艦から空母へ改装
[111号艦]
開戦直後に建造中止
[797号艦]
マル五計画に含まれたが計画のみ
798号艦,799号艦
マル五計画に含まれた戦艦. 大和型の船体に51cm砲6門を搭載する予定だった.
超甲巡
ドイツのシャルンホルスト型の影響を受けて計画された超巡洋艦. 30cm砲を搭載し速力は30kt以上とされていたが計画のみ. アメリカのアラスカ型に対応する.
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