潜水艦は,排水量500t以上,1000 t 未満を呂号(ロ号)潜水艦と名前をつけることになっていました.
呂号潜水艦はドイツ海軍のUボートに代表される通商破壊に適した潜水艦といえます. しかし,日本海軍は伊号潜水艦の補助的なものという認識しかもたず,これらの艦種の積極的な運用を考えませんでした. このような考え方に日本海軍の限界があったといえるかもしれません. アメリカに対しての通商破壊は無理かもしれませんが,インド洋を通じて中国への物資援助が行われていましたからインド洋では効果があったはずです. 実際,セイロン島に対する機動部隊の攻撃に呼応して,潜水艦が通商破壊戦を実施し相当の戦果を挙げています.
なお,日本の中型潜水艦は大正時代に建造された海中型を基本に発展しました.
海中型
海中I-IV型は大正時代に建造され,太平洋戦争前に除籍された.
海中V型
ロンドン条約の制限から建造されることになった. 呂28から8年の技術進歩により高性能を発揮したが量産には向いていなかった. 呂33,34の2隻が建造された.なお,海中I型からIV型は大正時代に国産初の潜水艦として設計・建造され,太平洋戦争前に除籍された.
- 排水量:700 t(水上),1200 t(水中)
- 速力:19 kt(水上),8 kt(水中)
- 主要兵装:7.6cm高角砲1門,53cm魚雷発射菅4門
- 同型艦:2隻
海中V型の同型艦
呂号第三三潜水艦
1935年10月7日呉工廠で竣工→1942年8月29日ポートモレスビー沖で豪駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第三四潜水艦
1937年5月31日三菱神戸造船所で竣工→1943年4月6日イサベル島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
特中型
通商破壊用に建造された. 呂29-32の4隻が建造された.
- 排水量:665 t(水上),886 t(水中)
- 速力:13 kt(水上),8.5 kt(水中)
- 主要兵装:12cm砲1門,53cm魚雷発射菅4門
- 同型艦:4隻
特中型の同型艦
呂号第二九潜水艦 (第六八潜水艦)
1923年9月15日川崎神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第二九潜水艦と改名→1936年4月1日除籍
呂号第三〇潜水艦 (第六九潜水艦)
1924年4月29日川崎神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第三〇潜水艦と改名→1942年4月1日除籍
呂号第三一潜水艦
1927年5月10日川崎神戸造船所で竣工→1945年5月25日除籍
呂号第三二潜水艦 (第七一潜水艦)
1924年5月31日川崎神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第三二潜水艦と改名→1942年4月1日除籍,以後潜水学校の練習艦
大正時代に潜水艦という艦種が作られたときは通し番号で艦名が付けられていた.
L型
L1型,L2型は大正時代に設計・建造され,太平洋戦争前に除籍された.
L3型
L2型の改良型. 呂57-59の3隻が建造された.
- 排水量:889 t(水上),1103 t(水中)
- 速力:17 kt(水上),9 kt(水中)
- 主要兵装:短8cm高角砲1門,53cm魚雷発射菅4門
- 同型艦:3隻
L3型の同型艦
呂号第五七潜水艦 (第四六潜水艦)
1922年7月30日三菱神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第五七潜水艦に改名→終戦後伊予灘で米軍により海没処分
呂号第五八潜水艦 (第四七潜水艦)
1922年11月15日三菱神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第五八潜水艦に改名→1945年10月清水沖で米軍により海没処分
呂号第五九潜水艦 (第五七潜水艦)
1937年5月31日三菱神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第五九潜水艦に改名→1946年5月伊予灘で米軍により海没処分
L4型
L3型の改良型. 呂56-68の9隻が建造された.
- 排水量:988 t(水上),1301 t(水中)
- 速力:17 kt(水上),9 kt(水中)
- 主要兵装:8cm1門,53cm魚雷発射菅6門
- 同型艦:9隻
L4型の同型艦
呂号第六〇潜水艦 (第五九潜水艦)
1923年9月17日三菱神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第六〇潜水艦に改名→1941年12月31日クェゼリンで事故により座礁,海没処分
呂号第六一潜水艦 (第七二潜水艦)
1924年2月9日三菱神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第六一潜水艦に改名→1942年9月1日アリューシャン列島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第六二潜水艦 (第七三潜水艦)
1924年7月24日三菱神戸造船所で竣工→1924年11月1日呂号第六二潜水艦に改名→1946年5月伊予灘で米軍により海没処分
呂号第六三潜水艦
1924年12月20日三菱神戸造船所で竣工→1946年5月伊予灘で米軍により海没処分
呂号第六四潜水艦
1925年4月30日三菱神戸造船所で竣工→1945年4月12日広島湾で訓練中に触雷沈没
呂号第六五潜水艦
1926年6月30日三菱神戸造船所で竣工→1942年11月4日米軍によるキスカ島空襲の際事故沈没
呂号第六六潜水艦
1927年7月28日三菱神戸造船所で竣工→1941年12月17日ウェーク島付近で呂62と衝突沈没
呂号第六七潜水艦
1926年12月15日三菱神戸造船所で竣工→1945年7月20日除籍,終戦後解体
呂号第六八潜水艦
1925年10月29日三菱神戸造船所で竣工→1946年4月30日舞鶴港外で米軍により海没処分
中型
海中V型を基本に設計された海中VI型ともいえる戦時急造潜水艦. 通商破壊に向いていたが海大型の補助程度にしか考えられていなかった. 呂35-50,55,56の18隻が建造された.
- 排水量:960 t(水上),1447 t(水中)
- 速力:19 kt(水上),8 kt(水中)
- 主要兵装:7.6cm高角砲1門,53cm魚雷発射菅4門
- 同型艦:18隻
中型の同型艦
呂号第三五潜水艦
1943年3月31日三菱神戸造船所で竣工→1943年8月25日エスピリットサント付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第三六潜水艦
1943年5月27日三菱神戸造船所で竣工→1944年6月13日サイパン島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第三七潜水艦
1943年6月30日佐世保工廠で竣工→1944年1月22日ニューヘブライズ付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第三八潜水艦
1943年7月24日三菱神戸造船所で竣工→1943年11月19日ギルバート方面で消息不明
呂号第三九潜水艦
1943年9月12日三菱神戸造船所で竣工→1944年2月3日ウォッゼ島付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四〇潜水艦
1943年9月28日三菱神戸造船所で竣工→1944年2月16日クェゼリン付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四一潜水艦
1943年11月26日三菱神戸造船所で竣工→1945年3月23日沖縄付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四二潜水艦
1943年8月27日佐世保工廠で竣工→1944年8月27日マーシャル諸島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四三潜水艦
1943年12月16日三菱神戸造船所で竣工→1945年2月27日硫黄島付近で米艦上機の攻撃を受け沈没
呂号第四四潜水艦
1943年9月13日三井玉野造船所で竣工→1944年6月16日エニウェトク島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四五潜水艦
1944年1月11日三菱神戸造船所で竣工→1944年5月1日トラック島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四六潜水艦
1944年2月19日三井玉野造船所で竣工→1945年4月29日沖大東島沖で米艦上機の攻撃を受け沈没
呂号第四七潜水艦
1944年1月31日三菱神戸造船所で竣工→1944年9月26日パラオ諸島付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四八潜水艦
1944年3月31日三菱神戸造船所で竣工→1944年7月14日サイパン島付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第四九潜水艦
1944年5月19日三井玉野造船所で竣工→1945年3月25日沖縄方面で消息不明
呂号第五〇潜水艦
1944年7月31日三井玉野造船所で竣工→1946年4月1日五島列島沖で米軍により海没処分
呂号第五五潜水艦
1944年9月30日三井玉野造船所で竣工→1945年2月7日ルソン島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第五六潜水艦
1944年11月15日三井玉野造船所で竣工→1945年3月22日沖縄方面で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
小型
南方の離島防衛用に開発された. 小型なので外洋の航海能力は不十分. 呂100-117の18隻が建造された.
- 排水量:525 t(水上),782 t(水中)
- 速力:14 kt(水上),8 kt(水中)
- 主要兵装:53cm魚雷発射菅4門
- 同型艦:18隻
小型の同型艦
呂号第一〇〇潜水艦
1942年9月23日呉工廠で竣工→1943年11月25日ブーゲンビル島沖で触雷沈没
呂号第一〇一潜水艦
1942年10月31日川崎神戸造船所で竣工→1943年9月15日サンクリストバル島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一〇二潜水艦
1942年11月17日川崎神戸造船所で竣工→1943年7月28日ラビ付近で米艦艇の攻撃を受け沈没
呂号第一〇三潜水艦
1942年10月21日呉工廠で竣工→1943年7月28日ソロモン方面で消息不明
呂号第一〇四潜水艦
1943年2月25日川崎神戸造船所で竣工→1944年5月23日アドミラルティ諸島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一〇五潜水艦
1943年3月5日川崎神戸造船所で竣工→1944年5月31日アドミラルティ諸島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一〇六潜水艦
1942年12月26日呉工廠で竣工→1944年5月22日アドミラルティ諸島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一〇七潜水艦
1942年12月26日呉工廠で竣工→1943年7月12日コロンバンガラ島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一〇八潜水艦
1943年4月20日川崎神戸造船所で竣工→1944年5月26日アドミラルティ諸島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一〇九潜水艦
1943年4月30日川崎神戸造船所で竣工→1945年4月25日沖縄方面で米艦艇の攻撃を受け沈没
呂号第一一〇潜水艦
1943年7月6日川崎神戸造船所で竣工→1944年2月11日ベンガル湾でインド艦艇の攻撃を受け沈没
呂号第一一一潜水艦
1943年7月19日川崎神戸造船所で竣工→1945年6月9日カビエン付近で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一一二潜水艦
1943年9月15日川崎神戸造船所で竣工→1945年2月11日ルソン島北方で米潜の攻撃を受け沈没
呂号第一一三潜水艦
1943年10月12日川崎神戸造船所で竣工→1945年2月12日ルソン島北方で米潜の攻撃を受け沈没
呂号第一一四潜水艦
1943年11月20日川崎神戸造船所で竣工→1944年6月17日サイパン島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一一五潜水艦
1943年11月30日川崎神戸造船所で竣工→1945年2月1日ミンドロ島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一一六潜水艦
1944年1月21日川崎神戸造船所で竣工→1944年5月24日アドミラルティ諸島で米駆逐艦の攻撃を受け沈没
呂号第一一七潜水艦
1944年1月31日川崎神戸造船所で竣工→1944年6月17日サイパン島付近で米軍機の攻撃を受け沈没
戦利潜水艦
ドイツ海軍より独潜IXC型を譲渡されたもの.
呂号第五〇〇潜水艦
1941年12月8日独潜U511として竣工→1943年9月16日ドイツより譲渡され呂号第五〇〇潜水艦と命名→1946年4月30日舞鶴港外で米軍により海没処分
呂号第五〇一潜水艦
1943年10月20日独潜U1224として竣工→1944年2月15日ドイツより譲渡され呂号第五〇一潜水艦と命名,日本へ回航の途中アゾレス諸島沖で米駆逐艦の攻撃を受け沈没