北洋漁業保護を目的とした小型の占守型が海防艦籍に編入されたことをきっかけに海防艦の目的が大きく変わりました. これはどちらかというと護衛艦(Escoat Vessel)と呼ぶべきものでした. このため,海防艦籍にあった装甲巡洋艦は再び元の艦籍などに戻され,海防艦は軍艦では無くなったのです.
海防艦の名前は,島の名称から付けられていましたが,後半になると番号で付けられるようになりました.
船団護衛を目的とした海防艦こそ太平洋戦争でもっとも必要であった艦種であったことは間違いなかったのですが,量産が始まり隻数がそろったのは1944年になってからで,時既に遅かったのです.
- 占守型 (甲型)
- 擇捉型 (甲型)
- 御蔵型 (甲型)
- 鵜来型 (甲型)
- 第一号型 (丙型)
- 第一号型の同型艦
- 第一号海防艦
- 第三号海防艦
- 第五号海防艦
- 第七号海防艦
- 第九号海防艦
- 第一一号海防艦
- 第一三号海防艦
- 第一五号海防艦
- 第一七号海防艦
- 第一九号海防艦
- 第二一号海防艦
- 第二三号海防艦
- 第二五号海防艦
- 第二七号海防艦
- 第二九号海防艦
- 第三一号海防艦
- 第三三号海防艦
- 第三五号海防艦
- 第三七号海防艦
- 第三九号海防艦
- 第四一号海防艦
- 第四三号海防艦
- 第四五号海防艦
- 第四七号海防艦
- 第四九号海防艦
- 第五一号海防艦
- 第五三号海防艦
- 第五五号海防艦
- 第五七号海防艦
- 第五九号海防艦
- 第六一号海防艦
- 第六三号海防艦
- 第六五号海防艦
- 第六七号海防艦
- 第六九号海防艦
- 第七一号海防艦
- 第七三号海防艦
- 第七五号海防艦
- 第七七号海防艦
- 第七九号海防艦
- 第八一号海防艦
- [第八三号海防艦]
- 第八五号海防艦
- 第八七号海防艦
- [第八九号海防艦]
- [第九一号海防艦]
- [第九三号海防艦]
- 第九五号海防艦
- [第九七号海防艦]
- [第九九号海防艦]
- [第一〇一号海防艦]
- [第一〇三号海防艦]
- [第一〇五号海防艦]
- [第一〇七号海防艦]
- [第一〇九号海防艦]
- [第一一一号海防艦],[第一一三号海防艦],[第一一五号海防艦]
- [第一一七号海防艦]
- [第一一九号海防艦]~[第二〇三号海防艦] ※奇数番号艦
- 第二〇五号海防艦
- 第二〇七号海防艦
- [第二〇九号海防艦],[第二一一号海防艦]
- 第二一三号海防艦
- 第二一五号海防艦
- 第二一七号海防艦
- 第二一九号海防艦
- 第二二一号海防艦
- [第二二三号海防艦]
- 第二二五号海防艦
- 第二二七号海防艦
- [第二二九号海防艦]
- [第二三一号海防艦]~[第二六三号海防艦] ※奇数番号艦
- 第一号型の同型艦
- 第二号型 (丁型)
- 第二号型の同型艦
- 第二号海防艦
- 第四号海防艦
- 第六号海防艦
- 第八号海防艦
- 第一〇号海防艦
- 第一二号海防艦
- 第一四号海防艦
- 第一六号海防艦
- 第一八号海防艦
- 第二〇号海防艦
- 第二二号海防艦
- 第二四号海防艦
- 第二六号海防艦
- 第二八号海防艦
- 第三〇号海防艦
- 第三二号海防艦
- 第三四号海防艦
- 第三六号海防艦
- 第三八号海防艦
- 第四〇号海防艦
- 第四二号海防艦
- 第四四号海防艦
- 第四六号海防艦
- 第四八号海防艦
- 第五〇号海防艦
- 第五二号海防艦
- 第五四号海防艦
- 第五六号海防艦
- [第五八号海防艦]
- 第六〇号海防艦
- [第六二号海防艦]
- 第六四号海防艦
- 第六六号海防艦
- 第六八号海防艦
- [第七〇号海防艦]
- 第七二号海防艦
- 第七四号海防艦
- 第七六号海防艦
- [第七八号海防艦]
- [第八〇号海防艦]
- 第八二号海防艦
- 第八四号海防艦
- [第八六号海防艦~第一〇〇海防艦] ※偶数番号艦
- 第一〇二号海防艦
- 第一〇四号海防艦
- 第一〇六号海防艦
- [第一〇八号海防艦],[第一一〇号海防艦]
- 第一一二号海防艦
- [第一一六号海防艦]
- 第一一八号海防艦
- [第一二〇号海防艦]
- [第一二二号海防艦]
- 第一二四号海防艦
- 第一二六号海防艦
- [第一二八号海防艦]
- 第一三〇号海防艦
- 第一三二号海防艦
- 第一三四号海防艦
- [第一三六号海防艦]
- 第一三八号海防艦
- [第一四〇号海防艦]
- [第一四二号海防艦]
- 第一四四号海防艦
- [第一四六号海防艦],[第一四八号海防艦]
- 第一五〇号海防艦
- [第一五二号海防艦]
- 第一五四号海防艦
- 第一五六号海防艦
- 第一五八号海防艦
- [第一六〇号海防艦]
- [第一六二号海防艦]~[第一八四海防艦] ※偶数番号艦
- 第一八六号海防艦
- [第一八八号海防艦]
- 第一九〇号海防艦
- 第一九二号海防艦
- 第一九四号海防艦
- 第一九六号海防艦
- 第一九八号海防艦
- 第二〇〇号海防艦
- 第二〇二号海防艦
- 第二〇四号海防艦
- [第二〇六号海防艦]~[第二八六海防艦] ※偶数番号艦
- 第二号型の同型艦
- 八十島型
占守型 (甲型)
北洋漁業保護を目的に建造された. 小型であるが海防艦籍に編入されたため軍艦として菊の御紋章をつけていた. 軍艦であるため設計は非常に凝ったものであったという.
- 基準排水量:860 t
- 速力:19.7 kt
- 主要兵装:12cm砲3門
占守型の同型艦
占守 (しむしゅ)
1940年6月30日三井造船玉野で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
国後 (くなしり)
1940年11月3日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1946年6月4日御前崎で座礁,放棄
石垣 (いしがき)
1941年2月15日三井造船玉野で竣工→1944年5月31日千島列島松輪島西で米潜の雷撃を受け沈没
八丈 (はちじょう)
1941年3月31日佐世保工廠で竣工,終戦時舞鶴で中波残存→1948年4月舞鶴で解体
擇捉型 (甲型)
海上護衛の適当な艦がなかったため占守型の工数を簡略化した改良型. 護衛に向く艦種が存在しなかったことが日本海軍の体質を物語っている.
- 基準排水量:870 t
- 速力:19.7 kt
- 主要兵装:12cm砲3門
択捉型の同型艦
擇捉 (えとろふ)
1943年5月15日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として米国に引渡
松輪 (まつわ)
1943年3月23日三井造船玉野で竣工→1944年8月22日マニラ湾口で米潜の雷撃を受け沈没
佐渡 (さど)
1943年3月27日日本鋼管鶴見で竣工→1944年8月22日マニラ湾口で米潜の雷撃を受け沈没
隠岐 (おき)
1943年3月28日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として中国に引渡
六連 (むつれ)
1943年7月31日日立造船桜島で竣工→1943年9月7日トラック島で米潜の雷撃を受け沈没
壱岐 (いき)
1943年5月31日三井造船玉野で竣工→1944年5月24日南シナ海タンバラン沖で米潜の雷撃を受け沈没
対馬 (つしま)
1943年7月28日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年賠償艦として中国に引渡
若宮 (わかみや)
1943年8月10日三井造船玉野で竣工→1943年11月20日南シナ海で米潜の雷撃を受け沈没
平戸 (ひらど)
1943年9月28日日立造船桜島で竣工→1944年9月12日海南島沖で米潜の雷撃を受け沈没
福江 (ふくえ)
1943年6月28日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として英国に引渡
天草 (あまくさ)
1943年11月20日日立造船桜島で竣工→1945年8月9日宮城県女川港で米艦上機の空襲を受け沈没
満珠 (まんじゅ)
1943年11月30日三井造船玉野で竣工→1945年4月3日香港で空襲により大破,放棄,1946年現地で解体
干珠 (かんじゅ)
1943年10月30日浦賀船渠で竣工→1945年8月15日朝鮮元山沖でソ連機の攻撃を受け損傷,海没処分
笠戸 (かさど)
1944年2月27日浦賀船渠で竣工,終戦時佐世保で大破残存,1948年天草で解体
御蔵型 (甲型)
擇捉型と異なった設計とする予定であったが,完成を急ぐため船体は流用し武装を高角砲に変えた. まだ,艦隊決戦用に掃海具を装備していた.当初は,乙型と呼ばれたが,島の名前を冠した海防艦は全て甲型に分類されるようになった.
- 基準排水量:940 t
- 速力:19.5 kt
- 主要兵装:12cm高角砲3門
御蔵型の同型艦
御蔵 (みくら)
1943年10月31日日本鋼管鶴見で竣工→1945年3月28日日向灘で米潜の雷撃を受け沈没
三宅 (みやけ)
1943年11月30日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存→1945年8月21日門司付近で触雷,1948年佐世保で解体
淡路 (あわじ)
1944年1月25日日立造船桜島で竣工→1944年6月2日バシー海峡で米潜の雷撃を受け沈没
能美 (のうみ)
1944年2月28日日立造船桜島で竣工→1945年4月14日済州島沖で米潜の雷撃を受け沈没
倉橋 (くらはし)
1944年2月19日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年9月賠償艦として英国に引渡
屋代 (やしろ)
1944年5月10日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年8月賠償艦として中国に引渡
千振 (ちぶり)
1944年4月3日日本鋼管鶴見で竣工→1945年1月12日メコン河口で米艦上機の攻撃を受け沈没
草垣 (くさがき)
1944年5月31日日本鋼管鶴見で竣工→1944年8月7日マニラ湾口で米潜の雷撃を受け沈没
鵜来型 (甲型)
御蔵型の船体を変えたもの.装備により二つの型に別れる.公式類別では御蔵型になっていたが分類上のミスである. 当初は,改乙型と呼ばれたが,島嶼の名前を冠した海防艦は全て甲型に分類されるようになった.
大掃海具装備型
御蔵型が当初予定していたより簡略化した新設計の船体を使っている. 武装は御蔵型と同じ. 装備的には艦隊決戦思想から抜け出ていない.
- 基準排水量:940 t
- 速力:19.5 kt
- 主要兵装:12cm高角砲3門
三式投射機装備型
御蔵型が当初予定していたより簡略化した新設計の船体を使っている. 武装は対潜装備を充実させている.
- 基準排水量:940 t
- 速力:19.5 kt
- 主要兵装:12cm高角砲3門
鵜来型の同型艦
大掃海具装備型
日振 (ひぶり)
1944年6月27日日立造船桜島で竣工→1944年8月22日マニラ沖で米潜の雷撃を受け沈没
大東 (だいとう)
1944年8月7日日立造船桜島で竣工,終戦時残存→1945年11月16日掃海作業に従事中触雷沈没
昭南 (しょうなん)
1944年7月13日日立造船桜島で竣工→1945年2月25日海南島沖で米潜の雷撃を受け沈没
久米 (くめ)
1944年9月25日日立造船桜島で竣工→1945年1月28日黄海で米潜の雷撃を受け沈没
生名 (いくな)
1944年10月15日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「生名丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「おじか」と改名,1963年解役
四阪 (しさか)
1944年12月15日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として中国に引渡
崎戸 (さきと)
1945年1月10日日立造船桜島で竣工,終戦時佐世保で残存,1947年解体
目斗 (もくと)
1945年2月19日日立造船桜島で竣工→1945年4月4日関門海峡で触雷のため沈没
波太 (はぶと)
1945年4月7日日立造船桜島で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として英国に引渡
[大津 (おおつ)]
1945年5月10日日立造船桜島で進水,終戦時未成,1946年浸水のため沈没
[友知 (ともしり)]
1945年3月5日日立造船桜島で起工,終戦時20パーセント完成,戦後解体
三式投射機装備型
鵜来 (うくる)
1944年7月31日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「鵜来丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「さつま」と改名,1967年解役
沖縄 (おきなわ)
1944年8月16日日本鋼管鶴見で竣工→1945年7月30日舞鶴で米艦上機の攻撃を受け大破着底,後に解体
奄美 (あまみ)
1945年4月8日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年12月賠償艦として英国に引渡
粟国 (あぐに)
1944年12月2日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時舞鶴で中波修理中残存,1948年解体
新南 (しんなん)
1944年10月21日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「新南丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「つがる」と改名,1967年解役
屋久 (やく)
1944年10月23日浦賀船渠で竣工→1945年2月23日南部仏印沖で米潜の雷撃を受け沈没
竹生 (ちくぶ)
1944年12月31日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年気象観測船「竹生丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「あつみ」と改名,1962年解役
神津 (こうづ)
1945年3月30日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
保高 (ほだか)
1945年3月30日日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
伊唐 (いから)
1945年4月30日浦賀船渠で竣工→1945年8月1日七尾湾で触雷,終戦時残存,戦後着底,秋田港の防波堤に利用
生野 (いくの)
1945年7月17日浦賀船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
[蔚美 (うるみ)]
1945年5月26日浦賀船渠で進水,終戦時90パーセント完成,戦後解体
[室津 (むろつ)]
1945年6月15日日浦賀船渠で進水,終戦時90パーセント完成,戦後解体
稲木 (いなぎ)
1944年12月16日三井造船玉野で竣工→1945年8月9日八戸港で米艦上機の空襲を受け沈没
羽節 (はぶし)
1945年1月10日三井造船玉野で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年9月賠償艦として米国に引渡
男鹿 (おじか)
1945年2月21日三井造船玉野で竣工→1945年5月2日黄海で米潜の雷撃を受け沈没
金輪 (かなわ)
1945年3月15日三井造船玉野で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として英国に引渡
宇久 (うく)
1944年12月20日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
高根 (たかね)
1945年4月26日三井造船玉野で竣工,終戦時舞鶴で中波状態で残存,戦後解体
久賀 (くが)
1945年1月25日佐世保工廠で竣工,終戦時舞鶴で大破状態で残存,戦後解体
志賀 (しが)
1945年3月20日佐世保工廠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事,進駐軍連絡船として博多と釜山間に就航→1950年気象観測船「志賀丸」に改装→1954年海上保安庁に移籍「こじま」と改名,1964年解役→千葉市稲毛の海洋公民館に払下げ,1998年解体
伊王 (いおう)
1945年3月24日佐世保工廠で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,進駐軍連絡船として就役,1946年7月解体
その他,30隻の計画があったが1944年8月に建造中止となった.
第一号型 (丙型)
戦時急増の船団護衛専門の海防艦. 徹底的な簡略化(戦時標準型)が採用され量産に向いた設計とされた. 艦名は奇数番号である.
- 基準排水量:745 t
- 速力:16.5 kt
- 主要兵装:12cm高角砲2門
第一号型の同型艦
第一号海防艦
1944年2月29日三菱神戸造船所で竣工→1945年4月6日広東省仙頭沖で空襲を受け沈没
第三号海防艦
1944年2月29日三菱神戸造船所で竣工→1945年1月9日台湾沖で米艦上機の攻撃を受け沈没
第五号海防艦
1944年3月19日日本鋼管鶴見で竣工→1944年9月21日比島バターン半島沖で米艦上機の攻撃を受け沈没
第七号海防艦
1944年3月10日日本鋼管鶴見で竣工→1944年11月4日南シナ海で米潜の雷撃を受け沈没
第九号海防艦
1944年3月10日三菱神戸造船所で竣工→1945年2月14日黄海で米潜の雷撃を受け沈没
第一一号海防艦
1944年3月15日三菱神戸造船所で竣工→1944年11月10日レイテ島オルモック湾で米軍機の攻撃を受け沈没
第一三号海防艦
1944年4月3日日本鋼管鶴見で竣工→1945年8月14日兵庫県余部沖で米潜の雷撃を受け沈没
第一五号海防艦
1944年4月8日日本鋼管鶴見で竣工→1944年6月6日南部仏印ビンジン沖で米潜の雷撃を受け沈没
第一七号海防艦
1944年4月13日日本鋼管鶴見で竣工→1945年1月12日メコン河口サンジャックで米艦上機の攻撃を受け沈没
第一九号海防艦
1944年5月10日日本鋼管鶴見で竣工→1945年1月12日メコン河口サンジャックで米艦上機の攻撃を受け沈没
第二一号海防艦
1944年7月18日日本海船渠で竣工→1944年10月6日比島北西沖で米潜の雷撃を受け沈没
第二三号海防艦
1944年9月15日日本海船渠で起工→1945年1月12日南部仏印キソン湾沖で米艦上機の攻撃を受け沈没
第二五号海防艦
1944年7月2日日本鋼管鶴見で竣工→1945年5月3日黄海沖で米潜の雷撃を受け沈没
第二七号海防艦
1944年7月20日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として英国に引渡
第二九号海防艦
1944年8月8日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時佐世保で行動不能で残存,戦後解体
第三一号海防艦
1944年8月21日日本鋼管鶴見で竣工→1945年4月14日済州島沖で米潜の雷撃を受け沈没
第三三号海防艦
1944年8月31日日本鋼管鶴見で竣工→1945年3月28日日向灘で米艦上機の攻撃を受け沈没
第三五号海防艦
1944年10月11日日本鋼管鶴見で竣工→1945年1月12日南部仏印ファンリ沖で米艦上機の攻撃を受け沈没
第三七号海防艦
1944年11月3日日本海船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年9月賠償艦として米国に引渡
第三九号海防艦
1944年7月27日日本鋼管鶴見で竣工→1945年8月7日対馬西方で米軍機の攻撃を受け沈没
第四一号海防艦
1944年10月16日日本鋼管鶴見で竣工→1945年6月9日対馬沖で米潜の雷撃を受け沈没
第四三号海防艦
1944年7月30日三菱神戸造船所で竣工→1945年1月12日南部仏印ファンリ沖で米艦上機の攻撃を受け沈没
第四五号海防艦
1944年12月23日日本海船渠で竣工,終戦時三重県尾鷲で浸水擱座,戦後解体
第四七号海防艦
1944年11月2日日本鋼管鶴見で竣工→1945年8月14日兵庫県余部沖で米潜の雷撃を受け沈没
第四九号海防艦
1944年11月16日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,掃海任務に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
第五一号海防艦
1944年9月21日三菱神戸造船所で竣工→1945年1月12日南部仏印キノン湾で米艦上機の攻撃を受け沈没
第五三号海防艦
1944年11月28日日本鋼管鶴見で竣工→1945年2月7日南部仏印カムラン湾で米潜の雷撃を受け沈没
第五五号海防艦
1944年12月20日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
第五七号海防艦
1945年1月13日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年解体,船体は宇部港の防波堤となる
第五九号海防艦
1945年2月2日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1946年7月30日荒天のため大破着底状態の戦艦日向と接触沈没
第六一号海防艦
1944年9月15日舞鶴工廠で竣工,終戦時サイゴンで大破残存,戦後解体
第六三号海防艦
1944年10月15日三菱神戸造船所で竣工,終戦時七尾港で大破着底,戦後解体
第六五号海防艦
1945年2月13日日本海船渠で竣工→1945年7月14日室蘭港で米艦上機の攻撃を受け沈没
第六七号海防艦
1944年11月12日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として中国に引渡
第六九号海防艦
1944年12月20日三菱神戸造船所で竣工→1945年3月8日の米軍機の攻撃により大破,3月16日香港沖で沈没
第七一号海防艦
1945年3月12日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
第七三号海防艦
1945年4月15日日本鋼管鶴見で竣工→1945年4月16日宮古湾外で米潜の雷撃を受け沈没
第七五号海防艦
1945年4月12日日本海船渠で竣工→1945年8月10日大泊港出港後未帰還(触雷?),8月23日喪失確定
第七七号海防艦
1945年3月31日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,掃海任務に従事→1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
第七九号海防艦
1945年5月6日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
第八一号海防艦
1944年12月15日舞鶴工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として中国に引渡
[第八三号海防艦]
1945年1月16日協和造船で進水,艤装を浪速船渠で続行中に終戦,1948年3月解体
第八五号海防艦
1945年5月31日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年9月賠償艦として中国に引渡
第八七号海防艦
1945年5月20日日本鋼管鶴見で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事,1948年川南工業で解体
[第八九号海防艦]
1945年5月5日日本海船渠で進水,終戦時未成,戦後解体
[第九一号海防艦]
1944年8月建造中止
[第九三号海防艦]
1945年5月20日協和造船で起工直後建造中止,解体
第九五号海防艦
1945年5月4日新潟鉄工で竣工,終戦時横須賀で中破残存,戦後解体
[第九七号海防艦]
1945年5月25日日本鋼管鶴見で進水,終戦時未成,12月16日復員輸送艦として竣工,主機不良のため1946年4月除籍
[第九九号海防艦]
1944年8月建造中止
[第一〇一号海防艦]
1944年9月8日協和造船で起工,終戦時工事中断,未成
[第一〇三号海防艦]
1944年8月建造中止
[第一〇五号海防艦]
1944年12月24日日本鋼管鶴見で進水,終戦時未成,1946年4月15日復員輸送艦として竣工→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
[第一〇七号海防艦]
1945年1月3日日本鋼管鶴見で進水,終戦時未成,1946年5月30日復員輸送艦として竣工(海軍最後の完成艦]→賠償艦として中国に引渡
[第一〇九号海防艦]
日本海船渠で起工,1945年2月建造中止,戦後解体
[第一一一号海防艦],[第一一三号海防艦],[第一一五号海防艦]
1944年8月建造中止
[第一一七号海防艦]
1945年2月1日日本鋼管鶴見で起工,1945年3月建造中止,解体
[第一一九号海防艦]~[第二〇三号海防艦] ※奇数番号艦
1944年8月建造中止
第二〇五号海防艦
1944年10月30日日本海船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として中国に引渡
第二〇七号海防艦
1944年10月15日浪速船渠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として米国に引渡
[第二〇九号海防艦],[第二一一号海防艦]
1944年8月建造中止
第二一三号海防艦
1945年2月12日三菱神戸造船所で竣工,終戦時残存→1945年8月18日釜石港内で触雷沈没
第二一五号海防艦
1944年12月30日新潟鉄工で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として中国に引渡
第二一七号海防艦
1945年7月17日三菱神戸造船所で竣工,終戦時残存,掃海任務に従事→1947年9月賠償艦として英国に引渡
第二一九号海防艦
1945年1月15日浪速船渠で竣工→1945年7月15日津軽海峡で米艦上機の攻撃を受け沈没
第二二一号海防艦
1945年4月2日新潟鉄工で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
[第二二三号海防艦]
1945年7月4日三菱神戸造船所で進水,終戦時未成,戦後解体
第二二五号海防艦
1945年5月28日新潟鉄工で竣工,終戦時残存,1948年8月天草で解体
第二二七号海防艦
1945年6月15日浪速船渠で竣工,終戦時残存,引揚輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
[第二二九号海防艦]
三菱神戸造船所で起工,1945年3月建造中止,解体
[第二三一号海防艦]~[第二六三号海防艦] ※奇数番号艦
1944年~45年までに建造中止
当初,132隻が計画され53隻が完成,68隻は1944年8月に建造中止. その後さらに168隻が計画されたが起工されたものはない.
第二号型 (丁型)
第一号型のエンジンが足りなくなることが予想されたため,戦時標準船が採用していたエンジンを用いた. 速力が向上したが航続距離は減少している. 艦名は偶数番号である.
- 基準排水量:740 t
- 速力:17.5 kt
- 主要兵装:12cm高角砲2門
- 同型艦:63隻
第二号型の同型艦
第二号海防艦
1944年2月28日横須賀工廠で竣工→1945年7月28日舞鶴で米艦上機の攻撃を受け大破着底,戦後解体
第四号海防艦
1944年3月7日横須賀工廠で竣工→1945年7月28日鳥羽で米軍機の攻撃を受け大破着底,戦後解体
第六号海防艦
1944年8月15日横須賀工廠で竣工→1945年8月13日厚別沖で米潜の雷撃を受け沈没
第八号海防艦
1944年2月29日三菱長崎造船所で竣工,終戦残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として英国に引渡
第一〇号海防艦
1944年2月29日三菱長崎造船所で竣工→1944年9月27日奄美大島北方で米潜の雷撃を受け沈没
第一二号海防艦
1944年3月22日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,掃海作業に従事→1947年9月賠償艦として米国に引渡
第一四号海防艦
1944年3月27日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として中国に引渡
第一六号海防艦
1944年3月31日横須賀工廠で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年8月賠償艦として英国に引渡
第一八号海防艦
1944年3月8日三菱長崎造船所で竣工→1945年3月29日南部仏印クワンガイ沖で米軍機の攻撃を受け沈没
第二〇号海防艦
1944年3月11日三菱長崎造船所で竣工→1944年12月29日比島リンガエン湾で米軍機の攻撃を受け沈没
第二二号海防艦
1944年3月24日三菱長崎造船所で竣工,終戦時残存,掃海任務に従事→1947年9月賠償艦として米国に引渡
第二四号海防艦
1944年3月28日三菱長崎造船所で竣工→1944年6月28日硫黄島付近で米潜の雷撃を受け沈没
第二六号海防艦
1944年5月31日三菱長崎造船所で竣工,終戦時残存,掃海任務に従事→1947年9月賠償艦として米国に引渡
第二八号海防艦
1944年5月31日三菱長崎造船所で竣工→1944年12月24日比島ダソール湾外で米潜の雷撃を受け沈没
第三〇号海防艦
1944年6月30日三菱長崎造船所で竣工→1945年7月28日淡路島近海で米艦上機の攻撃を受け大破,翌日沈没
第三二号海防艦
1944年6月30日三菱横浜造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦として英国に引渡
第三四号海防艦
1944年8月25日石川島造船所で竣工,終戦時残存,復員輸送に従事→1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
第三六号海防艦
1944年10月21日藤永田造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として米国に引渡
第三八号海防艦
1944年8月10日川崎神戸造船所で竣工→1944年11月25日マニラ湾口で米潜の雷撃により沈没
第四〇号海防艦
1944年12月22日藤永田造船所で竣工→終戦時残存,掃海輸送に従事,1947年8月賠償艦として中国に引渡
第四二号海防艦
1944年8月25日三菱長崎造船所で竣工→1945年1月10日沖縄本島近海で米潜の雷撃を受け沈没
第四四号海防艦
1944年8月31日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として米国に引渡
第四六号海防艦
1944年8月29日川崎神戸造船所で竣工→終戦時残存,1945年8月17日朝鮮木浦沖で触雷沈没
第四八号海防艦
1945年3月13日藤永田造船所で竣工→終戦時残存,掃海任務に従事,1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
第五〇号海防艦
1944年10月13日石川島造船所で竣工→終戦時大阪湾で大破行動不能,後解体
第五二号海防艦
1944年9月25日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
第五四号海防艦
1944年9月30日三菱長崎造船所で竣工→1945年12月15日バシー海峡で米艦上機の攻撃を受け沈没
第五六号海防艦
1944年9月27日川崎神戸造船所で竣工→1945年2月17日御蔵島付近で米潜の雷撃を受け沈没
[第五八号海防艦]
1945年4月15日日藤永田造船所で進水→終戦時未成,1946年4月8日復員輸送艦として竣工,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として米国に引渡
第六〇号海防艦
1944年11月9日川崎神戸造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年8月賠償艦として英国に引渡
[第六二号海防艦]
1945年3月15日日立造船向島で竣工→終戦時未成,復員輸送に準備中1946年1月14日呉で浸水沈没
第六四号海防艦
1944年10月15日三菱長崎造船所で竣工→1944年12月3日海南島沖で米潜の雷撃を受け沈没
第六六号海防艦
1944年10月21日三菱神戸造船所で竣工→1945年3月13日広東省仙頭沖で米軍機の攻撃を受け沈没
第六八号海防艦
1944年11月20日川崎神戸造船所で竣工→1945年3月24日米艦上機の攻撃を受け沈没
[第七〇号海防艦]
1945年日立造船尾道で起工→3月工事中断,終戦時未成,戦後解体
第七二号海防艦
1944年11月25日石川島造船所で竣工→1945年7月1日朝鮮西部黄海道沖で米潜の雷撃を受け沈没
第七四号海防艦
1944年12月10日三菱長崎造船所で竣工→1945年7月14日室蘭港で米艦上機の攻撃を受け沈没
第七六号海防艦
1944年12月23日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,掃海任務に従事,1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
[第七八号海防艦]
1945年3月24日川崎泉州造船所で進水→終戦時未成,1946年4月4日復員輸送艦として竣工,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
[第八〇号海防艦]
1945年日立造船向島で起工直後建造中断,解体
第八二号海防艦
1944年12月31日三菱長崎造船所で竣工→1945年8月10日朝鮮城津沖でソ連空軍機の攻撃を受け沈没
第八四号海防艦
1944年12月31日三菱長崎造船所で竣工→1945年3月29日南部仏印クワンガイ沖で米潜の雷撃を受け沈没
[第八六号海防艦~第一〇〇海防艦] ※偶数番号艦
1944年8月建造中止
第一〇二号海防艦
1945年1月20日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,掃海任務に従事,1947年8月賠償艦としてソ連に引渡
第一〇四号海防艦
1945年1月31日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,掃海任務に従事,1947年8月賠償艦として中国に引渡
第一〇六号海防艦
1945年1月14日石川島造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として米国に引渡
[第一〇八号海防艦],[第一一〇号海防艦]
1944年春建造中止
第一一二号海防艦
1944年10月24日川崎泉州造船所で竣工→1945年7月18日樺太,亜底湾で米潜の雷撃を受け沈没
[第一一六号海防艦]
1945年3月3日石川島造船所で進水→終戦時未成,1945年11月28日復員輸送艦として完成,復員輸送に従事中1946年5月25日枕崎沖で座礁,放棄
第一一八号海防艦
1944年12月27日川崎神戸造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として中国に引渡
[第一二〇号海防艦]
1944年春建造中止
[第一二二号海防艦]
1945年石川島造船所で起工→1945年3月建造中断,解体
第一二四号海防艦
1945年2月9日川崎泉州造船所で竣工→終戦時長崎で行動不能,戦後解体
第一二六号海防艦
1945年3月26日川崎泉州造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年8月賠償艦として英国に引渡
[第一二八号海防艦]
1944年春建造中止
第一三〇号海防艦
1944年8月12日播磨造船所で竣工→1945年3月29日南部仏印クワンガイ沖で米軍機の攻撃を受け沈没
第一三二号海防艦
1944年9月7日播磨造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1948年7月佐世保で解体
第一三四号海防艦
1944年9月30日播磨造船所で竣工→1945年4月6日広東省仙頭沖で米軍機の攻撃を受け沈没
[第一三六号海防艦]
1944年秋建造中止
第一三八号海防艦
1944年10月23日播磨造船所で竣工→1945年1月2日比島リンガエン湾で米軍機の攻撃を受け沈没
[第一四〇号海防艦]
1944年秋建造中止
[第一四二号海防艦]
1945年5月8日川崎泉州造船所で進水→終戦時未成,1946年4月7日復員輸送艦として竣工,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
第一四四号海防艦
1944年11月23日播磨造船所で竣工→1945年2月2日マレー半島クアンタン沖で米潜の雷撃を受け沈没
[第一四六号海防艦],[第一四八号海防艦]
1944年秋建造中止
第一五〇号海防艦
1944年12月24日播磨造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として米国に引渡
[第一五二号海防艦]
1944年秋建造中止
第一五四号海防艦
1945年2月7日播磨造船所で竣工→終戦時残存,掃海任務に従事,1947年9月賠償艦として英国に引渡
第一五六号海防艦
1945年3月8日日立造船桜島で竣工→終戦時残存,掃海任務に従事,1947年9月賠償艦として英国に引渡
第一五八号海防艦
1945年4月13日播磨造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として米国に引渡
[第一六〇号海防艦]
1945年4月10日播磨造船所で進水→終戦時未成,1945年8月16日竣工,復員輸送に従事,1947年9月賠償艦として英国に引渡
[第一六二号海防艦]~[第一八四海防艦] ※偶数番号艦
1944年秋建造中止
第一八六号海防艦
1945年2月15日三菱長崎造船所で竣工→1945年4月2日奄美大島で米艦上機の攻撃を受け沈没
[第一八八号海防艦]
1944年秋建造中止
第一九〇号海防艦
1945年2月21日三菱長崎造船所で竣工→終戦時下関で行動不能,戦後解体
第一九二号海防艦
1945年2月28日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として中国に引渡
第一九四号海防艦
1945年3月15日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として中国に引渡
第一九六号海防艦
1945年3月31日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦としてソ連に引渡
第一九八号海防艦
1945年3月31日三菱長崎造船所で竣工→終戦時残存,復員輸送に従事,1947年7月賠償艦として中国に引渡
第二〇〇号海防艦
1945年4月20日三菱長崎造船所で竣工→終戦時舞鶴で行動不能,戦後解体
第二〇二号海防艦
1945年7月7日三菱長崎造船所で竣工→終戦時佐世保で行動不能,戦後解体
第二〇四号海防艦
1945年7月11日三菱長崎造船所で竣工→終戦時佐世保で中波残存,戦後解体
[第二〇六号海防艦]~[第二八六海防艦] ※偶数番号艦
1944年秋建造中止
当初,143隻計画され63隻が完成. その後さらに60隻の計画があったが全て計画中止.
八十島型
中華民国が日本に設計を依頼し建造させた巡洋艦. 日中戦争時に拿捕したものを改装し海防艦籍に編入した.
- 基準排水量:2200 t
- 速力:22 kt
- 主要兵装:12cm高角砲2門
八十島型の同型艦
八十島 (やそしま)
1936年9月中華民国巡洋艦「平海」として引渡→1937年9月23日巴世州北岸で日本軍機の爆撃を受け擱座し日本軍が捕獲→1944年6月10日改装完了し海防艦籍に編入→1944年9月25日二等巡洋艦籍に変更→1944年11月25日米空母機の攻撃によりルソン島西岸で沈没
五百島 (いおしま)
1932年9月中華民国巡洋艦「寧海」として引渡→1937年9月23日江陰で日本軍機の爆撃を受け擱座し日本軍が捕獲→1944年6月23日改装完了し海防艦籍に編入→1944年9月19日米潜の雷撃を受け御前崎南方で沈没
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